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診療日記ブルー


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絶対音感
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「目は口ほどに恐怖を語る」
2005/01/13
Tron

↓以前の日記

長い顔 2004年10月24日(sun)

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 あまりに長い顔は、シカスプリントで改造された長い歯の終焉の姿です。


 むずかしい歯科用語で「安静位空隙」という言葉があります。これは、高くしても低くしても必ず噛まない間隙が必ずできるのです。

 いままで誰が見てもすり減って「低い入れ歯」を入れている老人のかたがいます。すり減って低い歯であれば、元の歯の形にもどすことはよいでしょう。歯が低いのですから。しかし、それ以上の上に持ち上げたらどうでしょうか。結論としてそれでも、身体は高さに適応しようとします。納得できない無理な力技で、力学的にも当然考慮されていません。つまり身体が装置どおりに誤って上部へ偏位していきます。
 ずれて不安定なほど、上げると安定したかのようにシカは錯覚します。

 ここまでくれば、さずがにかみ合わせがあわないから、入れ歯の裏側に隙間あくのはよくわかると思います。義歯のズレが歯茎をやせさせるのです。するとシカは、よく裏側のやせた歯茎の隙間をプラスチックで埋めようとするのです。すると当然噛む高さ自体が変わってしまいます。隙間があり、ふらふらしていて物がはさまってしまうような貧弱にみえる義歯をはめてた方が、シカで内面を治してフィットするようにぴったりにすると必ずこう言われるはずです。

「前のほうがよかった」とこれは正直な意見でもっともな話です。高さを変えたのに、歯の入出する肝心な角度を変えていないからなのです。

 終わり無き改造は、シカのスプリントで始まります。長い間培ってきた身体と決別するからです。自己改造はそのまま存在感のない自己否定の始まりなのです。科学はまだ人をつくるだけの熟成されていません。顎位が不安定な人ほど、どんどん上げられていきます。そしてその都度安静位空隙ができあがっていきます。1本の歯だけのスプリントは、口腔内を1本だけ当てるように改造されているのです。

 入れた通りに改造された結果、シカの通りなのです。シカのスプリントで顔を長くするから、今これを読んでいるわけです。日本人は、こんなに顔が長くありません。

水平面の曲がり 2004年10月23日(sat)

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 水平面の撮り間違った写真でも、PCでの操作で画像の処理が可能である。いったん撮り終えた画像は、専用の画像を補正するソフトで穴埋めができるのである。
 しかし実際の狂った顎は、そう簡単ではない。左右差で傾いた方が、下がっているのは正常でも当然のことだが、さらに下顎の骨自体が、緊張を伴い垂れ下がるように湾曲し、たわみ、そして歪む。歯はご存知のように上下顎の骨上に規則正しく並んでいる。骨が変化し角度を変えれば、歯も可変する。良く顎をつかえばエラがはったりするのは、骨変化のためだ。調節湾曲は歯の並ぶ角度を常に一定の方向を向けるために、左右とも別々に変化する。だから湾曲自体を治療で変えてはいけないんだね、
 歪んだ状態で高さをあわせても、解放すればさらに歪む(戻る)。状況は随時変わる、あわせるのは、一体どこで、時期はいつ?材質の硬い不動な物との意識があれば、永遠に「噛み合わせ」はとれない。よって歯は治せない。安定しないから、歯を補綴できないという悪循環を断つことができない。成長もするし、老化もしていく。環境に応じて変化の激しい「移りゆくもの」なのである。さらにポイントは、戻る歪みかどうかである。
 老人の総義歯で、当然無歯顎である上顎の平面は、基準点にそって正しく合わせられる。問題は下顎だ、下顎の左右の骨の高さが違うことがよくある。平面が歪んでいてあっている場合、下顎の左右の歯の高さはじつに巧妙に違っている。偏位している人の顔や頭の形に特徴があることはよく知っていると思う。つまり左右前後上下中心に対して3次元的に歪んでいるわけである。歪んだ状態をムシして、なにか構築すれば、辻褄が実にあわない。しかし、シカでは見た目の歪みにとらわれているから、改善しない。歯からくる歪みであれば、歯で解放する手段を当然知っておかなければならないのである。
 顎の位置にとらわれ、歯の高さにとらわれているから、けっして治らない。本当の噛む位置で修正していないからだ。よって本当に噛んだ位置が、かならず「顎位」である。いかに正しく噛ませることができたのか、正しい治療を行えるからわかるのである。

 歯の高い、低いというあなたの考えている基準の根拠は?
 いったいどこからの高さなのでしょうか?
 もしかして漠然と前回と比較していませんか? 
 それとも悪くなる直前?(もう過去は忘れている)  もちろん今「当たるところ」の噛み合わせではありません。歪んだ異常のある筋肉で当たる所と本来の姿で噛む所は違うのです。
 
 上顎はどこまでも深淵な地と相対し、すなわち地球の中心の地核へ向かっているはずだし、下顎はどこまでも正確に、星にあわせて遥かかなたの天空を見上げている。そんな上下が合わさった位置が、正しい噛み合わせといえるでしょう。

 傾いて歪んでいるから悪いわけではない、診断で勝手に病名を付けられてはならない。同じように条件反射的に判断すれば、傾いた車は、三▲社製のリコールクルマにみえるから不思議だ?

脚付きコップと二人の娘の顔 2004年10月22日(fri)

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 顕在意識と潜在意識の考えが一致していない場合、最終的に勝るのは潜在意識の考えだと言われています。例えば、「人と関わると傷つけられるのではないか?」と思っている人のケースでは、その潜在意識の恐れが「友達をたくさんつくろう」という表面上の意志に勝ってしまうことになるのです。潜在意識はこのように現実の生活に顕著に影響しています。
 ですから、歯科で「歯を治そう」として顕在意識のなかで、いくら治るんだといくら前向きに頭で考えるて向かっていても、身体が憶えている数々の悪行?治療での脅迫概念から潜在意識として残ってしまうものなのです。例えば、また歯が悪くなるのではないかとか、抜けてしまい歯が無くなるのではないかとか、顎関節症は未知の病気ではないかなどなどです。悪い観念が首をもたげて来て、かき消すことができなくなります。次々に入るシカからの誤った情報を耳にし、現実として自分自身知らずにして自作自演をさせていく危険を危惧するのです。 治療を開始されせっかくいい方向へ来た所でも、悪い考えが浮かんでは、認識を誤らせる要因になっていくことがあるのです。このような邪魔をする概念を取り除くことが、正しい治療では、大切なことであり、十分理解ぜずに仮にそのままで進んでも、結局は支配された考え方で、自分の行動を制約したり、実際の治癒を遅らせたり「後戻り」の要因になるのです。

 その前にまず、潜在意識が持つ意見や考えは、いつどのように形成されるのか知っておくことが大切です。7歳以下の子どもたちは、いわゆる催眠状態にあるとされています。つまり、潜在意識が常にオープンになっている状態です。このため、この時期に周囲によって与えられた様々な考えは、肯定的なものも否定的なものも含めて、潜在意識に入っていく、と言われています。例えば、小さな子供が「自分には価値がない」と思ってしまうような事を、周囲の大人に言われて育ったとします。その考えが間違ったものであっても、小さな子供には「大人が言っていることは間違っている」と判断することができません。その子の潜在意識も「自分には価値がない」という考えを持つようになります。ある非行に走る子供達は、3歳頃に親がとても育ててにくいとぼやくことで、事実その通りになるものなのです。最近の東京都での虐待での統計上データが出て来ています。幼少の頃から規則正しい生活を送ってきたものは、成人になっても同じように几帳面で規則正しい生活を送れるものなのです、そして当然日常当たり前のことですから苦痛でもなんでもありません。また統計では幼少のとき、虐待が多ければ多いほど、歯の状態が悪いことがデータに示されています。ここでも潜在意識と歯(噛み合わせ)との関連が示されているのです。

 脚付きコップと二人の娘の顔どちらにもみえるのですが、意識しているほうにしかみえません。悪いほうを意識するか、よいほうを意識するかそれは自由です。しかし選び方で結果が変わります。一見自分の意思で物事を選んでいるようにみえま。しかし実際に選んでいるのはあなたではなく、あなたを動かしている潜在意識なのです。

治療のピーク 2004年10月21日(thu)

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 松井選手の潜在能力は、はかりしれない秘めた底力とすごさを感じますね。

 イチロー選手は例年夏場になって調子を落としていました、それには理由があります。当初から大リーグに入っても、レギュラーで使ってもらえるかどうかの不安が絶えずありました。ですから、最初から飛ばせるだけ飛ばして当然の結果を残し、監督に強くアッピールしなければなりません。案の定、夏場をすぎた頃に、当初より飛ばしすぎた反動で、例年体力からくる不振で打率が落ちていったというのが本当の理由です。今年は結果をみればおわかりでしょうが、この数年の活躍でレギュラーが確定しました、使われない不安はありません。トレーニングに専念し充実したシーズンを迎えたことでしょう。おのずと偉大な成果が歴然と現れましたね。シーズン前から、良い兆候を予感させるわけですね。

 歯の治療もまったく同じことが言えます、どこで一番ピークを持ってくるかです、さまざまな山場が待ち構えています、ここぞという所で発揮させたいものです。事前にピークは意識して構築をしています。すべての補綴の最終構築後をピークにして、やがて下りだすからです。やや下がりだして、そこで止まります。(ここが正しい治療です)、後はまた緩やかに下がっていくので、下げないように補綴を修正していきます。補綴上でのピークと身体の状態を照らし合わせてもあまり意味がありません。身体の状態は、補綴の終了とは直接関係がないからです。

 通常は、オリンピックと同じで決勝戦をイメージします。完成は最後の最後なのです。予選から目一杯のあなたでは、体力が続きませんし、身体が上昇しません。砲丸投げのように、初速と放物線の角度を考えもっとも長く飛ばせる距離を考えます。早くよく!という要求はよくわかります、でもその要求を解決していくと、残念ですが、息が切れて最終目的地に達成できません。時には話を聞いていないかのように次々と治療を進めていくのは、そのためです。小康状態を崩す歯の当たりがあり、多少の身体のギクシャクもあるのですが、「今」改善すべき所とそうではない所をしっかり見極めて次に進むのです。「途中に囚われているから先に進めません」そして改善するのは、もっと後です。
 歯の構築の終了とイメージの一致がいっしょでないかたがいます。簡単に言えば、すべての中心から外れていた状況から戻せば、そこで噛むのです。ずれて噛んでいたイメージしか残っていない人は、時間がかかるでしょう。それでも、顎の位置を変えたり、高さを変えたりはしていません。一切を変えていません。あくまでも現状にある通りあるがままの姿なのです。
変わるとすれば、「自分自身ですから」

 症状で、判断しているかぎり、うまくいきません、目的地が違うのです。もっともシカのスプリントはすぐに歯を高く上げてしまいますから、後続かないのは当然のことですが、、。 長距離のマラソンランナーが、スタートから100mm決勝のスプリントの走りだからです。

頭で考えるな! 感じろ!! 2004年10月20日(wed)

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瞑想をしているブルースリー

ブルースリーの「燃えよドラゴン」スペシャルeditionから:リーが弟子に、カタを教えていたときのこと、弟子の手をバシ!っとたたいて「そうじゃない!」そーすると弟子が、考えこんでしまう。そこで 一言!
 
「Don't think, feel.」
  (頭で考えるな! 感じろ!!) 
  
     うーーーん 単純だけど哲学的〜〜
                     ^^;;
ブルースという武人は何を言いたかったのか。これは何を意味しているのか。
 武道的な身体の獲得は、ロゴス(言葉)によるのではない、リピート訓練による身体への刷り込みだけによるのでもない。武道的な身体を獲得するということは、ただ自らの肉体を感応体とすることだということなのだろうか。 たぶん、そうなのだろう。だが、ちょっと待って欲しい。「言葉で考えるな、感じろ。そうすれば相手の動きが感じられる」ということで本当に良いのか。そんな単純なことなのか。その他の含意はないのか。 相手からの身体情報受容能力を最大限に発揮する。つまり身体をすぐれた感応体とすること。「見」の能力をみがくこと。みな同じ事だが何かが足りないような気がする。 これを「考えるようにするな。感じるようにしろ。自分の動きのイメージを回復しろ」というように読みかえられないか。 人はだれも自分の身体を見ることはできない。ただ、イメージすることができるだけである。これは案外重要な事だ。自分の身体動作をわれわれは、身体感覚では捕捉できずに、イメージという知的なレベルで捕捉し理解するのである。だがイメージのレベルで捕捉した自分の身体動作は、実際の身体動作とは常に「ずれ」て現れる。(シンポジウムで実験しましたね。) 自分の「型」をはじめてビデオで見たときの違和感と失望感は、稽古人ならだれでも分かっていただけるだろう。稽古とは実は、この「ずれ」の修正のことではないのか。イメージの肉化のことではないのか。だとするならば、
「武道をどのように語る(イメージする)ことができるのか」と問うのではなく、
「武道的イメージというものを、身体はどのように語る(表現する)ことができるのか」と問うべきではなかったのか。


 「ブルースリーが修行の場所から出ていこうとする弟子を引き留めようとしたら師匠に呼び止められて、『なすがままにせよ』と言われた。のだが、そのあと台風で折れた枝を師匠が治していて、リーが『師匠は先日、なすがままにせよと言われましたが、なぜ枝を治しているのでしょうか?』と質問する。すると、師匠は『全ては活かすためだ』と答える。

 歯の治療はこれにあたると思います。どうせ花は、いずれ枯れてしまうのだからとあきらめた人には、歯の状況は、なすがまま、おもむくままの結果です。ちょうど弟子のように道場から逃げだしてしまうのがおちです。しかしすべては生かされるためにつねに存在していることを忘れてはいけません。歯を治すために立ち向かう気力で、病気という相手に通じるのです。そしてその相手とまぎれも無く自分自身の影の部分であり、すなわち症状なのです。あくまであきらめず、そして全力で結果を恐れないことです。自分に最大限自信を持つことです。
 歯の治療について、さまざまに流れている既存のシカ情報で頭でっかちなっていないでしょうか?つい習慣で「頭で何でも考えていませんか?、、、。 ここは、ちょっと違うのです、頭ではなく身体で感じるんです。」この言葉を忘れずに、よく思いだしてみてください。
 本人自身に噛むときのビデオを見せると一目瞭然です。状況の把握のズレを、本人が一番納得します。自分の噛んでいるイメージと現実の噛んでいる実態が、かけ離れていることに気がつきます。イメージと実態のズレを気がつかせることが、そしてその修正が、正しい歯の治療の神髄かもしれません。ですから、どのように噛んでみたいのか、術者ともどもシンクロし感じることができなければ、治療に行き着くこともできません。あなたが、よいイメージに行き着かないから進めません。気づかない人のために、痛みは気づきです。
 心配性なあなたへ、 心配は、イマジネーションの不適切な使い方です。 人間の想像力は限りがないと言われています。その想像力の使い方が、少し適切ではないのです。。。そう、使い方の問題にすぎないんです。向ける方向は、微増でもよくなったことにです。少しでもよくなったことに、感謝することです。自分への努力へのご褒美なのです。感謝がなければ、自分をよくすることができません。何故なら、歯は歯科医が治しますが、歯を治した後のよい噛むイメージは、自分自身の心が治すからです。心配なかたには、使いかたの修復までも必要です。

 自分の姿は、みることができません、しかし自分のイメージは正しく認識することができるのです、ちょっとした工夫で可能なのです。
     Don't think, feel.
  これが正しい歯の治療に必要なことです。頭で考えてもわかりません。治さなければ、わからないこともあるのです。

模擬監獄実験 2004年10月19日(tue)

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 この映画はスタンフォード大学でジンバルドーが行った監獄実験(1975)を ベースにしています。 この監獄実験とは一体何なのかご説明しましょう。 この実験の公式サイトは→ http://www.prisonexp.org/
この実験は、できるだけ健全な学生21人を被験者として集めて、ランダムに囚人役と看守役にわけられ、2週間、大学の地下室に作られた模擬刑務所でそれぞれの役割を演じてもらうという実験です。
囚人役はパトカーに連行され、裸にして消毒をうけ、囚人服を着せられて写真と指紋を採られ、私物を持つことも許されず、坊主にするかわりにストッキングキャップをかぶせられ、名前ではなくて番号で呼ばれました。ほとんど囚人と同じですね。さらに、格子窓から常に監視され、何をするにも看守の許可が必要な状況におかれました。
 一方、看守役は 制服と警棒、手錠などを与えられ、サングラスをし匿名性が確保され8時間交代の監視をするように言われました。もちろん、身体的暴力などは禁止され、ただ、監視するように言われました。
さて、研究者はこのような状況におくことで人がどのような行動が起こるかを設置したビデオカメラで観察したのです。状況の設定だけで指示をしたわけでもないのに、結果は驚くべき内容でした。
一日目は何も起きずにすぎましたが、2日目には驚くべき変化が起こりました。2日目に囚人役に人たちがバリケードを作って立てこもってしまいました。これに対して看守役はバリケードを突破し立てこもっていた囚人役を裸にし、独房に入れてしまいました。そして看守役は、反乱に関与しなかった囚人を特別扱いし、それを反乱した囚人に見せて内部分裂をさせました。さらに、看守役の支配的な傾向はエスカレートし、トイレに行くのも看守役の気まぐれになり、バケツにするように強要することもありました。囚人には情緒障害を持ち始めた者もではじめてしまいました。(それでも、実験からなかなか解放させなかったことにこの実験の問題があるのですが・・)最終的には、囚人は服従的に、看守は支配的に、残忍な行動をとるようになっていきました。そして予定の2週間も実験を継続することができずに、6日で中止してしまいました。
 さて、この実験結果を読んでどう思いますか? 人間っていうのは環境(役割)に左右されて、内面を変化させてしまうってことは事実のようです。なぜこのようなことがおこるのかの、心理学的仕組みは認知的不協和のところを読んでみてください。心から納得してなくても行動させることで、心を変えさせることは絶対ではありませんが、可能なのです。


 模擬シカ実験(19●●)が、秘密裏に行われました、時間と場所は極秘です。関係者のごく一部にしか知らされていません。この実験の公式サイトは、http://www.sika...org/ ...  
では、模擬シカ実験とは何かお知らせしましょう。
できるだけ健全な学生21名を被験者として集めて、ランダムにシカ治療を受けさせます。そのなかで、1本のシカのインレーが今回の支配的な役割を担います。
すべて噛み合わせの違和感をシカでいつものように人工的につくりだすのです。
 時には、ミクロンで高く、あるものはミクロンで低く。右にしたり、左にしたり。前にしたり、後ろにしたり。ごく普通に作ってもシカでは意図通りになります。違和感を感じさせたまま、あるいは、違和感なしは、あくまで相手の自覚にかかっています。
さまざまにアトランダムに組み合わせます。そして短期間あるい中長期に経過をみます。
歯にでてくるものは、さまざまでした。あるものは、歯がぐらつきだし、またあるものは、歯が痛むのです。特徴として、

 症状は直接入れた歯ばかりではないのです。

また、顎が痛いもの、上顎洞炎症症状やチックなど顔面麻痺、三叉神経痛の症状を呈するものなどさまざまです。実験は、とても危険なことが判明しました、直ちに中止です。
しかし中長期的な実験者たちの一部の行方がわからないのです。
(中略)
 やがて困難ななかで、かなりの年月をかけて探しあてたのです。最後のあるものは、以前から健康が自慢であったにもかかわず、シカ実験以来インレーを外し忘れたため、極度の血圧の変化で、脳梗塞での疑いかかけられ入院させられたのです。ちょうど実験の時期から数十年たった後でした。本人も身体の症状ばかり気に取られ、シカ実験での体験をすっかり忘れてしまったかのようです。血流の流れの悪さが、シカによって引き起こされたのは患部が左側であり、偏位といっしょであることに符号するから不思議です。
 直ちに特別緊急班が至急直行し、修正除去後再形成しインレーをセットしなおしたのです。やがて退院の情報が通知されてきました、歯という生命維持装置の復活で、間一髪で間に合ったのです。その後の実験の公式サイトは、アクセスしても見つかりません、厚生労働省の要請で、緊急閉鎖させられていました。しかし、実験を終わっても、シカ治療(行為)は今もなお現実に行なわれています。(実験は、もちろんフィクションです)

無意識レベル 2004年10月18日(mon)

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 顎関節症を直すマントラ
「唇を閉じ、奥歯を離し、顔の力を抜く」これが顎関節症を直す呪文です。これを1日に何度も自分に言い聞かせ、実践します。
 かみしめる癖は、今すぐ止めるよう注意してください。本来人間の上下の歯が接触するのは、物をかむときと飲み込むときだけなんです。もし、かみしめやくいしばり、歯ぎしり等をしていると、かむための筋肉や関節は持続的に破壊され続け、治療しても効果が現れず、治らないという結果になってしまいます。
 マントラで顎の関節と筋肉はリラックスし、緊張やこわばりから解放されます。筋の緊張によって引き起こされていた、顎や首のまわりの痛みを少しずつ引くのです。


 意識を再確認してしましょう。例えば、歩くときに、右足出して、左足だしてといちいち考えますか、お風呂に入るときは、どちらの足から、自転車に乗るときペダルをこぐのを、左右にごとにいちいち考えていますか?最大の関心ごとですが、自分の歯で食事をするとき、つねに「意識」していますか?寝ているとき、噛み合わせを意識できますか?
 我々が行うべき大切なポイントは無意識レベルの治療です。眼にみえる外側での反応は、すべて過去の結果の集積なのです。特に起こしてしまった症状は、追求してはいけないのです。身体から追い出そうとすればするほど、身体が執着をし逃げていきません、意識がそこに集中しているからです。
 
 だから左右どちらで噛んだらいいんですか?という質問はまるっきり意味がありません。身体は、同時に使えるのが当たり前だからです。結論としては、意識して噛む所ではないし、噛む行為が無意識の動作なのです。でそんな必要性などない所なのです。しいていままでできることと言えば、子供のことからの親から教わった躾(しつけ)、習慣の部分かもしれません、

 シカで意識していることは、すべてのシカ医とKR.が意識しているところだけです。KR.の認識することができない隠された「無意識」の部分があることを考慮すべきなのです。隠されている部分が、治療における大部分のヒントなるといって過言ではありません。繰り返しいいますが、自分の姿は自分が一番よくわかりません。シカで入れられた、たった1本のインレーでも、そのかたの人生を大きく揺るがす事実があるのですから、そしてその対応方法を知っているからこそ、よくわかるのです。幼少期の時期に、シカのインレーなど一見自覚のないものほど、逆に違和感の認識不足のため発覚が遅れます。これは、成長の歪みを増長させ、致命的な状況をつくりあげるのです。環境通りに成長した歯は心を司る橋渡し役(ブリッジ)なのです、だから顎の体操や言葉のマントラや姿勢を含めた生活習慣も大切ですが、その前に歯を正しく治すことが賢明です。
 
 マントラ100回唱えてもいいでしょう、でも隠されているからシカではみえないのです、みえないから「ない」ように見えるのです。みえない人に見えるようにはできません。本当の緊張は、隠されてる歯から起こしているのです。これは頭のよい理解の有無とは、ちょっと違うもののようです。認識する力だからです、訓練でみえるものではないのです。
 シカで「ない」とされている、認識できないものをみるのです。

沖縄の常識 2004年10月17日(sun)

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 沖縄の常識シリーズ(カウントダウンCDーTVより)
 沖縄のコンビニおにぎりはツナマヨでもレンジでチンと温める。これ沖縄での常識。メロンパンも同じ温める。とにかく温められるものは、たいてい温める知ってた?レジではすべていっしょの袋です。冷たいお茶といっしょの袋?お茶が微妙に暖かい?いえ、こころが暖かいのです。地球にやさしい、エコロジーです。だって無駄な袋はいらないでしょう?

 沖縄人は居酒屋は風呂に入ってからが、当然エチケット?居酒屋で酒の飲む前は、かならず風呂入ってくる。後飲んで帰るだけ、むー合理的。
 (歯は、磨けよ。よけいなお世話かな?)
 沖縄の有名人;川満先生(しぇんしぇい)は誰でも知っているというお笑いのかただ。。ちなみに誕生日は、安室奈美恵、石川ひとみ、一青 窈 (ひとと・よう)、小田和正といっしょで9/20だったかな?同じ日です。
 (沖縄ワールドを知らなかった)


 シカ世界はマイナーなローカルな世界です。顎関節症はシカでは治せない、治らないと言われています。既存の領域の狭い考えからくるシカ常識が、あなたを治せない状況を生み出していきます。シカ界であきらめかけたマイナーな気持ちは、あなたに注ぐのです。だからシカシステムの欠落により、治癒意欲さえそぐのです。それでも気になる症状を自己発見した優秀な?かたは、治そうと試みます。そしてシカ診断で新たな病気をみつけられてからは意識し始めます、さらに顎を対象としたシカの顎関節治療は火に油を注ぐ結果になります。大火事になってからは、燃え盛る炎をただ傍観しストレスのせいにしてみます。それ以上シカでなにかすることが、結果として悪化することがよくわかっているからです。

 片側半分だけの片側(へんそく)スプリントなど、ごく一般常識をあてはめれば、極めて残虐な異常さがわかるのです。片側にはめれば、片側があたらない。わけですし、やがて傾きだしてくれば、そのうち片側をはずしても、スプリントをいれていた片側が今度は当たらなくなるのです。外すと、今度は片側があたり、はめると片側があたらない状況です。両方同時にあたらないとは、まさに「変則」です、永遠に当てることができません、噛むところは、まさに一つだけです。入れたり、外したりミクロンの場所で行なうシカのスプリント行為ではないのです。治療ではありません、それは治らないからです。
 「治る気配を感じない」ことを、治したい直感で感じて!
 お笑い芸人のギャグが、おもしろいかおもしろくないか。答えは、一瞬にして反応し笑いでかえすものだ。笑いはほほの筋肉にゆるみという弛緩の結果、表情で正しくとらえるものだ。もしかして笑うとき、いちいち頭で理由を考えてから笑っているのかい?それでは面白くないね。

 シカ治療の不思議なことがある。実にレパトリーが豊富だが、何故、歯を削ることと、外科手術と、スプリントとが順番に並んでいるかだ。同時に複数の選択を順次行うことが、ある意味信じられない。いかに、診断も確かではなく試行錯誤しているあらわれだ。残念だがそれぞれすべてをしても治らないだろう。シカの世界独自の自己満足にしかすぎない。見ている世界で視点が狭くしかもピント外れだ。細分化した「歯は、歯。顎は、顎。、、、」部分的に合わせていくと人間になると思っているのだろうか?

 最後の手術をするとしないとを同系列に考えるのはシカ以外に他はないだろう。しかも結論として手術をしてもしなくても結果はいっしょである。結局、選ぶのはどちらでもいっしょってことを意味している?手術して以前より悪くなった?あり得る話だ、むーそれは、残念!

 シカで「顎」を治そうとするから、皮肉にも顎が治らないのです」

[血管系] 2004年10月16日(sat)

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「血管系は、神様が創造した最高の芸術」
表情には顔の皮膚の微妙な動きを伴います。皮膚にしわをつくることは、下層に筋肉があり、皮膚に付着して引っ張ったり緩めたりしているからにほかなりません。このような筋肉を表情筋といい、顔面神経のコントロールを受けています。表情筋はヒトで高度に発達していますが、ヒトで突然現れたものでもありません。魚や爬虫類、また哺乳類、サル、そしてヒトの解剖を比較して表情筋と顔面神経の成り立ちを考え、その上で、展示標本を観察したいと思います。

人体展より


 シカ大学1年の夏休みの宿題で標本模型を作ったことを思い出しました。ノスタルジーですね。あの暑い盛りに、骨格標本を作ったのです。なにしろ全身の模型だから知識もなく、初めて挑戦で結構大変でした。特に舌骨は紙のように薄くてすぐどこかに張り付いて、しまうのです。いったん置いておくと、そこからはがれません。失敗を経験したことと思います。
 全身といっても「蛙(カエル)」の骨は小さくて無くしてしまうほどなのです。無くした骨をお米にすり替えて骨にみててた輩もいました。すべての骨には、名前があり図鑑通りであることに、当時感動したものでした。

 やがて、そのまま大学の5年生になり大学病院での臨床が行われます。その前だったと思います、解剖の実技があるのです。講義の後に、臨床に入り献体された方達への人体解剖を行うのです。眼にしみるくらい濃厚なホルマリンの臭いで充満した解剖室で、死体達は、ステンレスのテーブルに並んでわれわれ新米の実習学生達を静かに待っていたのです。シカでも、医科と同じようにメスをにぎり、執刀するのです。身体からの脂のためグローブをした手が止まらずいくらでも滑るのです。足にはサンダルをはくのです。洗いながすための床のコンクリは、足を棒のように疲れさせます。献体にかかわる学生の人数は、決っています、医科より条件が悪いのは、当時は当たり前と思っていました。2重にしてもマスクから染み込むような重い空気を浴びて、授業は進んでいくのです。最後と最初に献香をして手を合わせた後、感謝の気持ちで立ち去ります。献体にかたは、自ら志願して善意で最後に身体を提供したのです。死という尊厳のある最後の善意をいただいでも、このことを自分なりに理解したのは、もう少し立てからです。回りに環境に消化できない状態です。身体も同じくそうです。しばらくは、お肉を食べられない状況なのは、言われた通りでした。実習で詰め込まれた知識でいっぱいになった頭と疲労で困ぱいした身体で、余裕などなかったのです。

 正しい治療で、血流の流れがよくなれば、「頭」がすっきりするのです。そして男性は「特徴的」に影響がでます。

walking tour 2004年10月15日(fri)

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   何故か、泣けてきます。walking tour
  
 個体は、この不滅の遺伝子の乗り物にすぎない。生き残ろうとしているのは、個体ではなく遺伝子なのである。そこでドーキンスは遺伝子のことを、自己複製子と名付けている。自然淘汰とは、自己複製子が個体という姿を借りて行う生き残りゲームである。ゲームをうまくやれる自己複製子は自分のコピーをたくさん残せるので、増殖することができる。うまくやれない遺伝子は滅びる。 遺伝子とは文字通り、生物が親から子へと性質や形を伝えるためのものである。今では、遺伝子はDNAという化学物質であることがわかっている。DNAを構成している塩基の並び方により、いろいろな遺伝情報が保持されている。
 しかし、遺伝子の働きは、これにとどまらない。遺伝情報を保持する遺伝子は構造遺伝子と呼ばれているが、情報を実際の形質として発現させる途中で働く。このように遺伝暗号の発現を抑えたり促進したりといった調節を行う遺伝子である。
 最近、ホメオティック遺伝子という遺伝子が発見されて話題となっている。遺伝子は遺伝のみならず分化(器官形成)の面でも重要な働きをすることが明らかになった。では、個体の形質のみならず行動までも支配しているのであろうか。

 個体は遺伝子の単なる乗り物である、行動もその支配下にあるということになる。 現在、ある生物が存在しているのは、遺伝子が自然淘汰で生き残ったからだと主張する。遺伝子の目的はただ一つ、これからも生き残ろうとすることである。 ここで決定的に重要なことは、遺伝子の目的は唯一、自分自身が生き残ることであって、単なる乗り物にすぎなり個体の生き残りではないということだ。

 このことから、ドーキンスの主張する「自己犠牲」という行動の合理的解釈が生まれてくる。簡単にいうと、個体の自己犠牲的行動とは、あるグループの遺伝子(自分のコピーもしくは血縁)が自分たち全体の利益を計るために分乗しているある乗り物を、犠牲にすることに他ならない。つまり、全体のための部分犠牲である。 「個体は遺伝子の乗り物」、「自己犠牲」につづく、ドーキンスの第3のモチーフ、「延長された表現型」という概念がある。ドーキンスはこの概念を、「遺伝的遠隔作用」とも表現している。 遺伝子は自分の生き残りのために個体どころか、種を越えて、他の生き物をコントロールする場合がある。これを、延長された表現型としている。


 全面的に彼のリロンを理解するわけではないが、私たちの身体とは遺伝子が次世代に効率良く子孫を残していくための乗り物に過ぎないということに納得はいく。さらにもしも感情や思考までも遺伝子による「わがまま」から生まれ出ているのであれば、自分とは意思とはいったいなんだかわからなくなりそうですね。確かに生物として親から子へと受け継いでいくのは遺伝子であり、個体には老化や病気で必ず寿命が来ることはわかっています。今我々がしておく大事なことは、「生きている」ときに、正しい情報通りに、既存の身体にある遺伝子を子孫に受け継がさせていけるかどうかにかかっているのです。科学的に言わせてもらえば、あらゆる過去の生命の情報は脳のなかにすべて記載され引き継がれていていくものだいいます。当然のように産まれる前の先祖の情報もすべて人間の脳というメインボードの記憶容量の片隅に記憶されているのです。
 
 歯が悪ければ、当然身体が痛む。歯の分まで身体はカバ−しようとケアーしていることが、そのまま負担となるからだ。といってシカ的発想でシカのスプリントのように、歯に身体への負担をかけよう(あるいは、かめないように)としてはいけないのです。
 
 一切かませない装置は、身体を減弱させますし、逆になんでもかんでも顎位をあやつり、巧みに身体をコントロールするシカの両極端なスプリントには「要注意」です。装置により、人からの情報を身体に入れているのですが、シカの恣意的な間違った遺伝子情報なのです。どんなにシカでがんばったところで、シカ装置の情報は、固有の情報を越えられません。いつもいうように、戦う所が違うのです。作為的なものを使って、代々引き継ぎ、乗り継いでいたものを安易に取り替える作業は、もう止めたほうがよいでしょう。よってシカのスプリントをはめることにより、歯を通して口の中から来る脳へ伝える情報は、どうゆうものかもうお分かりですね。それは非常に危険極まりないものなのです。それとも怖いもの見たさであれば、恣意的に変えることは、ご自由にどうぞ!後は、どうなっても知りません。
  「シカの乗り物にのるから、降りられないのです」あなたの病気は、全体のための部分犠牲かもしれないのです。それをシカに託しているのです。せいぜい顎位にこだわり治療を受けてください。でも顎位は変えてはいけないのですが、、、。

 正しい治療は、力学的系だけでなく、固有の情報を引き出し、それをホテツに印記します。元からある正しい情報ですから、すべてにおいて辻褄があい、合致するはずです。あなたのするべきことは、遺伝子情報を今後も正しく継承し、伝えることです。たとえ肉体が滅びても、心(遺伝子)は永遠なのです。

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