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診療日記ブルー


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粘膜干渉
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論より証拠
2005/01/20
口腔内ストレスの恐怖
2005/01/19
偽札
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咬合圧の変化が痛みに及ぼす影
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「目は口ほどに恐怖を語る」
2005/01/13
Tron

↓以前の日記

頭で考えるな! 感じろ!! 2004年10月20日(wed)

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瞑想をしているブルースリー

ブルースリーの「燃えよドラゴン」スペシャルeditionから:リーが弟子に、カタを教えていたときのこと、弟子の手をバシ!っとたたいて「そうじゃない!」そーすると弟子が、考えこんでしまう。そこで 一言!
 
「Don't think, feel.」
  (頭で考えるな! 感じろ!!) 
  
     うーーーん 単純だけど哲学的〜〜
                     ^^;;
ブルースという武人は何を言いたかったのか。これは何を意味しているのか。
 武道的な身体の獲得は、ロゴス(言葉)によるのではない、リピート訓練による身体への刷り込みだけによるのでもない。武道的な身体を獲得するということは、ただ自らの肉体を感応体とすることだということなのだろうか。 たぶん、そうなのだろう。だが、ちょっと待って欲しい。「言葉で考えるな、感じろ。そうすれば相手の動きが感じられる」ということで本当に良いのか。そんな単純なことなのか。その他の含意はないのか。 相手からの身体情報受容能力を最大限に発揮する。つまり身体をすぐれた感応体とすること。「見」の能力をみがくこと。みな同じ事だが何かが足りないような気がする。 これを「考えるようにするな。感じるようにしろ。自分の動きのイメージを回復しろ」というように読みかえられないか。 人はだれも自分の身体を見ることはできない。ただ、イメージすることができるだけである。これは案外重要な事だ。自分の身体動作をわれわれは、身体感覚では捕捉できずに、イメージという知的なレベルで捕捉し理解するのである。だがイメージのレベルで捕捉した自分の身体動作は、実際の身体動作とは常に「ずれ」て現れる。(シンポジウムで実験しましたね。) 自分の「型」をはじめてビデオで見たときの違和感と失望感は、稽古人ならだれでも分かっていただけるだろう。稽古とは実は、この「ずれ」の修正のことではないのか。イメージの肉化のことではないのか。だとするならば、
「武道をどのように語る(イメージする)ことができるのか」と問うのではなく、
「武道的イメージというものを、身体はどのように語る(表現する)ことができるのか」と問うべきではなかったのか。


 「ブルースリーが修行の場所から出ていこうとする弟子を引き留めようとしたら師匠に呼び止められて、『なすがままにせよ』と言われた。のだが、そのあと台風で折れた枝を師匠が治していて、リーが『師匠は先日、なすがままにせよと言われましたが、なぜ枝を治しているのでしょうか?』と質問する。すると、師匠は『全ては活かすためだ』と答える。

 歯の治療はこれにあたると思います。どうせ花は、いずれ枯れてしまうのだからとあきらめた人には、歯の状況は、なすがまま、おもむくままの結果です。ちょうど弟子のように道場から逃げだしてしまうのがおちです。しかしすべては生かされるためにつねに存在していることを忘れてはいけません。歯を治すために立ち向かう気力で、病気という相手に通じるのです。そしてその相手とまぎれも無く自分自身の影の部分であり、すなわち症状なのです。あくまであきらめず、そして全力で結果を恐れないことです。自分に最大限自信を持つことです。
 歯の治療について、さまざまに流れている既存のシカ情報で頭でっかちなっていないでしょうか?つい習慣で「頭で何でも考えていませんか?、、、。 ここは、ちょっと違うのです、頭ではなく身体で感じるんです。」この言葉を忘れずに、よく思いだしてみてください。
 本人自身に噛むときのビデオを見せると一目瞭然です。状況の把握のズレを、本人が一番納得します。自分の噛んでいるイメージと現実の噛んでいる実態が、かけ離れていることに気がつきます。イメージと実態のズレを気がつかせることが、そしてその修正が、正しい歯の治療の神髄かもしれません。ですから、どのように噛んでみたいのか、術者ともどもシンクロし感じることができなければ、治療に行き着くこともできません。あなたが、よいイメージに行き着かないから進めません。気づかない人のために、痛みは気づきです。
 心配性なあなたへ、 心配は、イマジネーションの不適切な使い方です。 人間の想像力は限りがないと言われています。その想像力の使い方が、少し適切ではないのです。。。そう、使い方の問題にすぎないんです。向ける方向は、微増でもよくなったことにです。少しでもよくなったことに、感謝することです。自分への努力へのご褒美なのです。感謝がなければ、自分をよくすることができません。何故なら、歯は歯科医が治しますが、歯を治した後のよい噛むイメージは、自分自身の心が治すからです。心配なかたには、使いかたの修復までも必要です。

 自分の姿は、みることができません、しかし自分のイメージは正しく認識することができるのです、ちょっとした工夫で可能なのです。
     Don't think, feel.
  これが正しい歯の治療に必要なことです。頭で考えてもわかりません。治さなければ、わからないこともあるのです。


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