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診療日記ブルー


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更新履歴
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粘膜干渉
2005/01/21
論より証拠
2005/01/20
口腔内ストレスの恐怖
2005/01/19
偽札
2005/01/18
咬合圧の変化が痛みに及ぼす影
2005/01/17
遅らせる声
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最善をつくす。
2005/01/15
絶対音感
2005/01/14
「目は口ほどに恐怖を語る」
2005/01/13
Tron

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今も最高! 2004年09月09日(thu)

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「いつも楽しく暮らすよう心がければ、
  外的環境から完全に、あるいはほとんど解放される」

             -- スティーブンソン(イギリスの小説家)--


 「出来事」はあくまでも、ただの「出来事」に過ぎず、良くも悪くもないのに、人それぞれ勝手に判断して、喜んだり、悲しんだりしています。たとえば、2つの選択肢があって、どちらかを選ばなければならない状況になったとします。私たちは、選んだ方の結果を見て、「うまくいった」「失敗だった」と判断しますが、これだって、やっぱり自分で勝手に判断しているのです。
 ではご自分でシカの治療でわざわざ勝手に作り上げた、「幸福な出来事」や「不幸な出来事」に振り回されてしまっている人達に問います。

最初は、どちらを選んでも「失敗」になる方法を、お教えしましょうか。

 「あの時、こうしておけば、とか、あのシカにいかなければ、、とか。もっと早くこうして、、。」
 それは、自分の選んだ方の結果よりも、選ばなかった方ばかりを気にしたり、執着したりするというものです。たとえ、選んだ方の結果が、満足いくものであっても、とてもダメだと思っていたとしても同じです。もし、もうひとつの選択肢を選んでいたら、もっといい結果になっていただろう、と思うのなら、自分の選んだ方はいつまでたっても失敗になってしまいます。

 仮に、別の方を選んでいたら、もっと惨めな結果に終わるとわかったとしても、それを気にして「選ばなくて良かった」「選んでいたら大変だったろうな」などと気にするのなら、それだって「失敗」になる可能性があります。だって、そんなことが気になるということは、「今回は、たまたまうまくいったけれど、次はどうなるかわからないぞ……」、と自分を脅しているようなものなのですから。

 このようなネガティブ気持ちでは、どんな結果でも、けっして安心するものではありません。

では、次ぎにどちらを選んでも「うまくいく」方法も、お伝えしましょう。

 もうおわかりの方も多いと思いますが、「自分が選んだことを尊重し、責任を持つ」ということです。
「責任を持つ」とは、ちょっと大げさですが、つまり自分が選んだことを、誰かや何かのせいにせずに、結果をそのまま受け止めるということです。

 結果が、満足いくことならば、ただそれを純粋に楽しめばいいのですし、あまり納得のいかないものだったとしたら、そこから気づくことをしっかりと見いだし、学んだことを次のチャンスに生かしていけばいいのです。

 「もし、〜だったら……」そんなことは気にして、時間を無駄にしなくてもいいのです。「幸せな出来事が起こらないと幸福になれない」、そんなこともありません。どんな出来事で出会おうとも、どんな環境にいようとも、自分が楽しく生きようと選んだのなら……今までも、そしてこれからも、私たちは、いつも最高に幸せだったし、本当に楽しく生きることができるのです。

 歯の治療が受けられる、今の今、、実は大変喜ばしいことなのです、だってポジティブな心を持って選択できる自分は、本当に「今も最高!」なんですから。


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