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診療日記ブルー


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新しい物理現象存在 2004年09月14日(tue)

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 宇宙を観測していると,私たちがすむこの世界には,本質的な不均衡が存在することに,いや応なしに気付かされる。遠いかなたに輝く恒星も,木星などの惑星や小惑星も,さらには地上に転がっている岩石も,それらすべてが「物質」からできている。一方,夜空のどこを眺めても,地球のどんな辺地を旅しても,物質とは正反対の性質をもつ「反物質」は,ほんのひとかけらも目にすることはできない。

 自然法則が均衡を旨とするのなら,宇宙には物質の総量に釣り合うだけの反物質が存在したとしてもおかしくはない。しかし現実には,物質ばかりで反物質がないという大きな不均衡が起きている。

 「現在の物質の優位をもたらしたものは何か。それは物質と反物質の間の振る舞いの違いだ」と物理学者は説く。この“振る舞いの違い”は物理学の言葉で,「荷電パリティ反転(CP反転)における対称性の破れ」と呼ばれる。

 ではこの「CPの破れ」は,実際のところどのくらいのものなのだろうか。この問いに対する回答を出すために,現在,米国のカリフォルニアと日本の筑波で,2つの巨大加速器「Bファクトリー」の建設が進んでいる。いずれも完成間近で,近く,CPの破れを検証する実験がスタートする。

 「B」とは,陽子の約5倍の質量もつ粒子,「B中間子」の意味で,この粒子の振る舞いを観察して,CPの破れの程度を調べる。「ファクトリー(工場)」とは,この加速器が,工場で大量に製品を生産するかのように,膨大な数のB中間子を作りだすことに由来している。
 今回の結果は、「超対称性理論」と呼ばれる新理論が存在を仮定する新粒子がかかわっている可能性もある。

 〈標準理論〉この世界に存在する4種の力のうち、素粒子物理の「強い力」の理論と、「弱い力」および「電磁気力」の理論との2本柱からなる。だが、これらを統一的に説明できないうえ、「重力」を取り込めていない。こうした問題を克服する究極の包括的な理論を生む手がかりとして、標準理論に矛盾する新現象の発見が待たれる。最近、標準理論が「質量はゼロ」としてきたニュートリノに質量があることも確実になっている。

 〈CP対称性〉電子と陽電子のような粒子と反粒子は、電気の正負などを除けば基本的に同等であること。だが60年代の実験で、粒子と反粒子が同じ物理法則には従わない「破れ」が見つかった。破れは、現在の宇宙は粒子ばかりで反粒子がほとんど無いという事実が起きるのに必要な条件の一つ。


 歯科の技術改革は、常時前向きにと思っています。いったん守りに入ってしまい停滞しますと、なかなか今までのように進みだすことができません。つねに現状の能力を分析把握し、さらに結果をもとに検証を繰り返し作業していくことで、微々たるものですがやがて向上していきます。いままで暗闇の捉えることの出来ないものが、うっすらと光が差しようやくみえてくるものがあります。永遠と繰り返していく一見単調な作業のなかで、ありがたいことにKr.に磨かれ向上していきます。噛み合わせの技術は、一長一短ではできません。一つクリアーしてほっとしたのもつかの間、次の難関が待っています。

 いずれにせよ心と身体が一体で、しかも出せる能力を最大限出し切って、全力立ち向かわなければならないのが、この治療の使命と考えています。
 技術の継承は口伝だと思っています、西洋的な図説入りの親切なマニュアルはありませんし、作ることはできないと思います。なぜなら身体は例外だらけであり、一つとして同じパターンのケースなど見たことがありません。さらに求めている最先端は記載していると同時に色あせていきます。その間にも次々に新しい発見をし次々と考えが新しく転換していきます。出版しようと文書にした時点ですでに過去のものです。多岐多様性にわたる噛み合わせを一つに集約する、あるいはすべてを網羅し全部の記述を果たすということはまずもって不可能です。イメージの展開を必要とする柔軟な正しい治療方法をみればおわかりでしょうが、一般的なシカの考えでは予測不可能でしょう、例えば1たす1が2というような、「誰がやっても一様にできる」教科書的発想とその対応ではけっして治りません。最大公約数的な治療の発想ではなく、治療の転換の前に、発想の大転換が必要でまず最初に要求されるのです。
 脳の持つイメージの展開が1たす1が2乗にも3乗にもなるのですから。理解させようにも、定義すら不可能です。東洋学的発想はわかる人には確かにわかるという手法ですから、逆にすべての人にわかるものではないのです。気がついた人とそう出ない人、閉じている人と開いている人。
 その差は紙一重です。心の持ち方一つで行き来できるのですから。東洋学的には1つに集約されると思っています、後はすべて応用ですから。東洋的発想では、瞑想などイメージの展開力の差が、いわゆる技術力の差にも繋がります。視点が変わってしまえば、展開する次元が違っているため、西洋的に人の持つ技術力がそのまま力を反映させることができないからです。

  宇宙のように、口腔という小宇宙は間違いなく同じ現象です。
「噛み合わせの一連の展開はすべて辻褄があっています、そして間違いなく現象は結果通りなのです。」


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