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竹下通り 2004年11月14日(sun)

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 「知っているだけではしょうがない。」こんな言葉を耳にします。確かにその通りです。しかし、知らなければ始まらないことも多々あります。知らなければ、スタートラインにさえつくことができない。そんな気がします。何かを知る前から、「どうせ知っているだけじゃ・・・。」という言葉を聞くとき、それは、『行動しないことを前提に』話しをしているように感じてしまいます。もしできるのであれば、そんなとき『必ず行動する』って前提にしてみるとおもしろいですね。今までと同じ情報が、まったく違ったものに感じられます。とてもリアルで、活き活きしたものです。自分の意識の向け方をちょっと変えるだけで、すでに手に入れている情報の質さえ変わってきます。そして、当然、これからの結果も変わってくるのです。



 溝は有効に活用されるために歯に存在します。いまだ当たっていないから、関係がない、あるいは必要ないとシカは思う所でしょう。溝の隙間の空間、言うなれば「空」の部分に噛み合わせは実に依存していて、最後まで噛むという行為の質に大いに関係します。シカのように、いつまでも噛む位置という「結果」に囚われているかぎり、本来の固有に持っている位置関係を、明確に解明することなどできないばかりで、いまだ「カイロ」など他の代替療法に依存しているわけなのです。
 はっきり言えば、対症療法をすればするほど、身体を無理に戻そうとしますから、歯と乖離した身体を作り上げます。よって本来の歯の治療は遅れていきます。身体の治療をしたならば、安定した半年後に噛み合わせをみるほうがよいでしょう。もちろんその頃には、間違った歯の通りの身体に戻っていますから、それでいいんです。なんてことない元に姿がスタートです。いまだスタートに立てないかたは、相当無駄な知識で遠回りです。膨大な知識量ではなく、ただ一つ正しい治療から始めるのです。

若い時は、溝はしっかりとついています。

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