関節が変形して傷んでしまう変形性股関節症では、人工関節置換術が治療法のひとつとして選択されます。人工関節には大きく分けて、痛んだ所だけ入れ替える(骨頭だけ入れ替える)人工骨頭置換術と、屋根に相当し臼蓋と呼ばれる骨盤側も入れ替える全人工股関節置換術があります。
人工関節の関節面をつくる材質は人工関節が初めて開発された1960年代には金属と金属の組み合わせが主流でしたが、その後、金属とプラスチック又はセラミック(磁器)とプラスチックの組み合わせが一般的となってきました。人工関節は機械ですから磨耗という問題があります。1980年〜90年代は金属に対してプラスチックの組み合わせが優れていると言われてきましたが、金属とプラスチックでは硬さが違うのでプラスチックの方がすり減ってきます。しかし、最近では、工学技術の進歩から工作精度が向上し、摩耗しにくい金属と金属又はセラミックとセラミックの組み合わせも採用されるようになってきています。
人工股関節のデザインは、上側(骨盤側)を帽子みたいな形状の臼蓋に置き換えて、下側(大腿骨側)は金属の頭を持った棒状の構造物が大腿骨にスポッと刺さる構造ですが、1960年以降、材質や個々の部品の形態は変わりましたが、このデザインコンセプトは変わりません。さて、この人工関節は金属、セラミックあるいはプラスチックですが、骨折したら骨がくっつくようには、挿入した人工関節の部品は人間の骨とはくっつきません。そこで、骨セメントという合成樹脂を使って金属、セラミックあるいはプラスチックを固定する方法と、表面をギザギザにした金属の隙間に骨が侵入することによりガッチリかみ合って固定する方法があります。骨セメントを使う時には、大腿骨側にだけ使う場合、大腿骨側、骨盤側両方に使う場合、全く使わない場合があります。骨セメントを使わない場合には、金属の隙間に骨が侵入しやすいように、金属の周囲にハイドロキシアパタイトという骨が入ってくることを助ける物質を塗布したり、表面形状を変えたりしています。
人工関節の寿命ですが、平均15年位と言われています。寿命は金属と骨の間に緩み、つまり隙間ができるかどうかで決まります。人工関節は機械ですから、大切に使うと長持ちします。乱暴に扱う(体重が増える、重たいものを持つ、長い距離を歩く、よく転ける)とはやくダメになります。
噛み合わせが悪くても症状がでない人がいます、答えは簡単なことです。歯科医院には症状を持って来院しないからです。歯科以外の科に来院するそのKR.は。自分の歯だとわかっていないからです。それは歯にあらわれないのです。最大の原因は、シカの認識通りに、KR.が作られてしまっているのです。身体も心も意図されない姿となって。つまり、変革として「歯と意識」が同時に進行していくのです。
何故「いわゆる顎関節症」が、顎のみに固執しないで、全身をみていくことへの必要性に言及するか理由がわかってきたと思います。歯科以外の他科で、例えば整形外科でいくら薬をもらったとしても、また変形を手術で治しても「再発」という言葉がちらつくのです。そしてむしろ牽引など整形的アプローチで完治したとすると、今度は歯のほうが大丈夫かと、とても心配になるものです。
身体の湾曲と違っているブリッジが入っているかたは、その入っているシカのブリッジ通りに、身体が「変性」しています。そしてブリッジは通常壊れないようしっかり作られます。壊れない、取れないことっがよい歯科医院の技術と一般では勘違いされています。よってシカのブリッジはガッチリと壊れません。ゆえに歪みを拾った身体が、今度は徐々に影響を受け始め崩壊していくのです。例えば不適切な平面の湾曲をしているブリッジを入れているそのかたは、しっかりと股関節に人工関節を入れています。股関節が本当に悪いのではないのは、すでにお分かりかと思います。高度な診断技術が進めば進むほど、欠落していく肝心な部分が隠され見えにくくされているのです。
痛む顎関節には、人工関節など入れる必要はありません。各自の歯こそ、「独立した関節」なのですから、上下で嵌合し、互いに関連しいっしょになって回転するのです。歯の回転が身体(顎)の回転とまったくいっしょなのです。よって顎の痛いかたは、大変幸いです(私からみて)。なぜなら確実に歯科にいくチャンスをもらえることができるからです。そして歯だけを治せばよいだけです。でも、やはりここでも「正しく」という付帯条件がしっかりつくのです。正しくなければ、火に油を注ぐように増悪し大暴れすることでしょう。外科的手術をすすめる人もいます、でも手術をやってみればすくわかります、その後何故「リハビリ」の必要性があるのかが。もっともそれを治ったと判断するなら、まったく話は別ですが、、。
さらに研究し人工関節が15年以上持つものを研究し開発するでしょうね。しかし、それだと原因を覆い隠すもので、診断、技術レベルはあがらないのです。まるで開発研究の向いている方法論がシカをみているようです。