コンクリートウォール激突までのテレメトリーデ
「この世にセナはもういない」ということを自分自身に言い聞かせるためかもしれない。
事故がセナのドライビング・ミスによるものではなく、他の外部要因によって引き起こされたものであることを示しており、セナが最期まで闘ったことを示している。セナの最期の闘いを知る一端となっていただければ幸いである。
スターティンググリッド上でスタートと同時にクラッシュしたラミーのロータスとレートのベネトンの破片は全て片づけられセーフティーカーがやっとコースを離れたとき、再スタートが切られた(スタート時のクラッシュで赤旗ではなく黄旗が振られたのは、マーシャルが手許に赤旗を持ち合わせていなかったという驚くべき事実がある)。
このとき、セナは2番手のシューマッハを後方に従えてトップを走っていた。6周目。ピットの前のストレートを全速で駆け抜けるセナは、5速から6速へとシフトしてタンブレロコーナーに飛び込む。すべて正常で、何事もうまくいっているかに見えた。そのとき、突如としてコントロールを失ったウィリアムズのFW16を駆るセナがタンブレロコーナーのコンクリートウォールに激突した。タンブレロコーナーに突入したのはスタートラインを通過してから11秒後、そしてコンクリートウォールに激突したのがスタートラインを通過してから13秒後(正確には12.8秒後)、このわずか1.8秒間に何が起こったのか?
「宙に浮いたような神を見たよ。光に包まれて天高く上っているんだ。私 ... 僕はそういう人間だ。事故で死ぬなら、一瞬のうちに死にたい」
気がついた時セナは神となっていた。記憶と記録を残して今だ永遠にトップのままに神となっていった。
セナ最後の瞬間 (Quick Time)
詳しい関係者の話では、彼は「鈴鹿でワールドチャンピオンを取った時、鈴鹿の130Rで急に目の前に光が降りてきて、凄く幸せな気分になったんだって。そこで神を見たらしいよ。その後に、1秒先の自分が見えていたんだって」
今年の5月1日でセナが亡くなってちょうど10年・・・あの日のフジTVの中継の始まりが頭から離れない。そして今日に至るまであの日のレース以降F-1ではけっして興奮することはない。
ポールポジションの回数65回に関しては、いまだ誰も抜けない記録である。
関係がないが、一の割の歯科医院の近くで駐車場を借りてるが、その大家さんがレポーターの川井ちゃんとは親戚ぐるみでおつきあいしている。「川井ちゃんの F単」 (山海堂)
今でも私が治療に心掛けていることは、さまざまな要因で十分ポテンシャルの発揮できない押さえこまれた劣悪な環境にあっても、卓越したコントロール(誘導)と無駄のないライン取り(排列)で、ライバル達(他の悪影響)を圧倒するレースである。
何でも理由を「悪い噛み合わせ」の影響のないようにするため注意を払いたい、そしてひたすらただ歯を治していく。正しく噛むことで身体(BODY)における回復するポテンシャルを少しずつあげていくのだ。
操作するドライバーはあなたである。
シカで普通免許をとったDr.にF-1の設計を話しても残念ながら理解されないと思う。最初から大きな乗り越えられない「コンクリートウォール(壁)」がそこにあることを理解した上で話しをしていけば、いままでより楽な気持ちで接することができるのではないでしょうか?頭で考えているより先に、実際にF-1マシンに乗ってみよう。普通免許をとったDr.ではギアを入れられず、F-1(BODY)を発進させることも不可能であることがわかるだろう。自分で操作方法もわからないのに、他人を乗せる車の図面は書けないと思う。
セナは“速く走る秘訣は?”と問われ
「心の問題なのさ。自分を信じることだよ」
「成功への最大の力は、勝てると信じることから生まれるんだ」
すごいことはすべて言った通りになることである、自らの命を架けて、、。