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権威に対する服従 2004年10月27日(wed)

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 服従の心理―アイヒマン実験
 一橋大学大学院商学研究科経営学修士コースの「理論構築の方法」という講義で使用されている。
 「適当に罰を与えることが学習にどのような効果を及ぼすか」と言うことで実験を行なうため、一般から被験者を募集する。二人一組で教師と生徒になり単語の記憶テストをする。生徒は電気椅子(!)に座り質問に答える。教師はガラスの壁の外から生徒を見ながら生徒が間違えると電撃を加える。間違いを重ねると、その電撃は強くされる。実はテストされているのは先生の方。結果は驚くべきものであった。
 
 ほとんどすべての被験者(先生)が、躊躇なく電圧を上げていくのである。「危険」などとラベルが張ってあっても…。生徒が電撃に苦しんでいるのを見ていても…(もちろんこれは芝居)。大抵の人はいったんは躊躇するが「テストのために必要です」などと言ってちょっとばかりプッシュすると、ほとんどすべての人が電圧を上げていくのである。いったん精神的な壁を突破すると、ブレーキが効かない。もちろん物理的に強制しているわけではない。そしてテスト後のインタビューでは彼らはほとんど良心の呵責を感じていないのが明らかにされる。言っておくがテストに参加したのは一般から公募されたごく普通の人である。しかしごく普通の人間が、適当な理由を与えられると、如何に残虐になることができるか、そしてそれを合理化してしまうかを示している。 
 
 権威に対する服従。今現在においても、このようなことが大がかりに、しかしもっと緻密に行なわれていて、しかも我々はそれに気がついていない、という可能性はある。


 昨日まで仲間だった先輩学生が、1夜にして先生に変わる。さらに従う関係に変わる、大学とは、まか不思議な世界である。医師のライセンスはたった紙切れ1枚だが、法治国家では重要な意味がある。とるまでは難関であり、とても名誉な紙だ。逆に言えば法律の範囲なら、モラルなしでやり放題なのが、シカの全顎的咬合治療だ。後は、治る、治らないに関係ない?

 歯の治療でくるほとんどの方は、虫歯があり痛くて来院する。これは日本独特の現象である。つまり歯の重要性を認識をさせない国家的対策?が功を奏している。歯の治療は、すべて保険で可能であると一貫して主張している当局は、潜在的な需要を喚起させない、すなわち予防を含めた理想的な歯科治療では、需要が財政を圧迫することを懸念している。すべての国民は、すべてにおいて「低価格」な治療水準に標準化され満足させられてしまっている。自由診療は高価であり極めて受ける人を限定させてしまう。途中がまったくないことにたしかに問題がある。今論議に登る混合診療は、やがて導入されていくことは明らかであるが、どのような形になるか今後の流れに是非注目したい。

 保険で治せますか?という質問を受ける。制度上は可能、現実は不可能である。つまり病名をつけ、病気を治す制度であり、人を治す治療ではない。オールマイティでない制度は、自由を縛り、人を拘束する。アイヒマン実験の実験のように、ただ「適当に罰を与えることが保険医にどのような効果を及ぼすか」を高官は知っている。よって保険医は、容易に脅威に服従し萎縮する。保険はたんに制度であり、医療ではない。
 豊かになれば(なりたければ)、ひたすら権威にひれ伏し、次第に心は鈍くなる。新たな挑戦は、築き上げた自分の立場にリスクを背負い込む、だから、やらない、しない、みない。安住したシカ世界の現実がここにある。シカは「事実」を知ろうとしない、制度上だけで展開する仮想の世界である。現実は、厚生労働省のエリート高官がつくりあげる小説を遥かに超越しているのですが、、、。彼らは、歯は悪くなく、悩まないでしょう。現場にいない彼らは、遥か上から物事を見ているのです、だから何が現実に起こっているか机上では、わからないものなのです。
 
 そして、その先にはシカの権威が待っていて、順次下へ降りてくるのです。ようは同じことなのです。加害者から被害者になり、さらに被害者は、加害者になる国家的図式なのです。

 だから、いまだなんでもない歯を大きくぐるっと削ってブリッジにする行為そのものに、失うエナメルと形態に罪悪感がないのです。そして結果、噛み合せを失う患者を製作するのです。

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