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六本木通り 2004年11月09日(tue)

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治療法に依存してはいけない。治療とは、生きている者のみにおこなえる行為です。生きているとは、自然治癒力そのものです。新陳代謝そのものです。治療は、症状をあなたが辛いと感じる「悪循環」を「善循環」に変える、一つのきっかけ作りです。

↑この言葉の順番は重要ですよ。

悪循環の原因には、治療だけでは片づけられない様々な問題点も絡んでいます。それが人によっては、精神面であったり、生きる環境そのものであったり、時には時間そのものが必要だったりします。私はいつも言います。「焦りは禁物です」と。。。やるべきことをやりながら待つことも治療の一環だったりします。ですから、今あなたが信じている治療で、すべて解決するとは思わないでください。
第三者が出来る範囲というのがあります。その上で自分自身でしかできないこともあります。(※ここで言う第三者とは、先生であったり、薬であったりと治療法そのものをいいます)すべてを治療法に依存するのではなく、出来ることは自分で改善していくという「心がけ」も絶対必要だということを意識しておいてください。
色々考えると消化不良を起こしそうですが、何事も前進の意思で受け止めていけば、すべては良い方向に傾いてくるはずです。私は諦めませんが、あなたにこの理屈が理解できなければ元も子もない話しです。


 身体の機能について、言葉で言及し定義づけするほど無意味なことはありません。さらに頭で理解しようとしても、これもまた意味がありません。ですからまず歯が正しく入った努力に、自分自身精一杯感謝し、喜ぶべきことです。
 いつまでも悪いところに意識している以上改善は認められない、つまり元にもどしても悪い状態を認識できるようになっただけと解釈してしまいます。心から変わらなければ、いつまでも状況は同じです。
 いままで、気がつかなかった歯の弱点に、眼をむけることができた最大のチャンスを、治療の結果にすり替え、予後の不安として感じることは得策ではありません。過去からの経過を振り返れば、入れられなかった歯が入って本当によかったと思います。

 治療には、良い効果というメリットとは反面危険なリスクがつきものです。欲をかかずほどほどで止めておくことも、決断としてとてもりっぱなことです。当医院では、症状を目標にしないという理由が、最初に掲げられたのは、元々固有に持っている身体の弱点を突きつけてもきりがないということなのです。与えられた枠組という現状のなかで冷静に身体の状況を把握して欲しいのです。そして繰り返しますが、治すのは私ではないのです。私は、治癒力を邪魔するものを、取り除くだけです。噛めることもまったく同様です。使いこなせるものを最大限提供するのです。私は、あくまで好条件を提示するお手伝いするをするまでです。傍観者や観客のようにお任せではなく、演じる主役は最後の最後まであなた自身なのです。最後まで演じきって、主役を降りないようにしてください。個人差は、特に大きいようです。一人として同じ顔をしている人がいないように、歯の条件もさまざまです。また、歯と心は密接に関係があります。そして、その判定基準を「心」にすれば誰でも到達するまで果てしないものになってしまいます。
 まずは、「歯の構築」を最初で最良のゴールにしておくのです。
 
 不定愁訴とは、原因のない症状です。原因がないのですから、対処方法がないものです。しかも、表に映し出している見える症状を追いかけてもまったく意味がないのです。それを、あぶり出しているものがあるからです。このように不定愁訴とは、「自分のしっぽを探してグルグルまわっているのでゴールがないのです」
 見える症状の自己判定もまたさまざまです。基準の甘い人もいれば、辛い人もいる。軽い病状を探して言う人もいるし、辛いことが多少あっても我慢して言わない人もいます。歯の治療の効果もさまざまです。たった1本入れてから大きく前進し噛めるかたもいますし、数年かけても治っていくかたもいます。壊れたものを戻す評価は、時間では計れません、ここはどうかあせらずじっくり治してみてください。過去の状況まで変えることは、当たり前ですが、物理的には不可能です。それは、マイナスを打つ消すプラスの状況を作っても、過去の負荷の部分に操られます。しかし心の置き方は変えることができます。歯を治せば、すべて戻る、
 だから冷静に現状を受け入れられるかたは、それでいいのです。厳密には若い時間のよく噛めた?昔に戻ることはタイムマーシン以外不可能です。老化により劣化もあるでしょう。過去の治療のため損傷や変性もあるでしょう。今という現実を受け入れることから始まるのだと思います。厳しい意見のようですが、あなたが調整で最後に期待している結果は、歯を治す経過や努力をとても大切にしたいという私の解釈とはちょっと違うようです。人間のできることの最大限を評価する、そして結果はそれに追随してついてくるのです。けれども逆にすべてのものには必ず限界もある事実を知ってほしいのです。

 元に戻した今のあなたが、現実の本当のあなたであることを「喜び」として欲しいのです。

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