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Utada Hikaru  2004年04月19日(mon)

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Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1

ポピュラリティとクリエイティビティのバランス
そこへ乗る詞の、10代ならではの感受性と心のひだの細かさや孤独感。
それらの詞への落としこみ方のバランスにも常に感嘆。
どれだけ売れても注目されても、磨耗しない表現力にもね。


 COLLECTIONの2曲目は、Automatic これは歯科のためにある題名だ。なぜなら今受けている歯科治療でまさしく身体や口腔内がオートマチックに変わっていく。1本の歯を投入しただけで、連続性をもち恒常性な身体や口腔の空間は変幻自在に変化する。良く変わるか、そうでなく変わるか判断結果は歯という入れるものと受け入れる身体とで相談して決定する。よくする結論は、さまざまに安定させることにおいて、歯は「絶対に」動かしてはいけない存在であり、そしてその歯の持つ「絶対的エリア」を崩してはいけないものなのです。貴い意味で場所(方向)と形状が脳からの信号で相互に判断し、神経筋機構はそれゆえ支配され、正しく機能するのです。

 彼女の歯科的に思い当たる残念な所は、顔の非対称性になっていることである。瞳孔すなわち眼の左右の高さの違いや眼の開きそして下顎骨すなわちエラのはりで、身体においても肩の向きすなわち上半身のねじれが存在する。これは幼少期での問題が潜在化し、歯としての特徴は左の小臼歯あたりが、力学的に歯を通じて仕事をしていないことを物語る。筋の緊張は左顔のエクボに見られるものである。仮に身体からのズレが骨盤から子宮へ波及するのか、あるいは逆に身体に合わせて歯の噛み合わせを変化させているのかこの場合知る由もない。顔や身体の歪みは長い年月繰り替えし蓄積されていく、当然初期程度では其の変形具合は肉眼では見えない、ところが彼女は10代のときにも関わらず、歪みが肉眼で見える。ここで注意して欲しいのは、身体とともに成長の過程が同軸上に起こしている偏位であれば、歯科的なアプローチは一切避けるべきだ。歯が悪くければ、ひたすらそれのみを治すだけである。同時に心や身体の問題を含めバックグランドは歯科で対処してはならない。
噛み合わせにおいて当初より見た目を含めすべてによい噛み合わせではない、其の場合歯科ではけっしてまずそれ以上にはならない。最初から作られてしまった噛み合わせは以上によくしてやろうとは思わないことだ。欲張って一歩間違えれば焦りや囚われ、欲が心に起き、真実の眼を曇らせてしまう。せっかくの自然の恵みを結局荒廃させ人生の狭間に陥ることになる。人をひとり生かすも殺すもシカでなる。

 そよ風、小川のせせらぎなど、様々な自然現象の中に発生する周波数の様なものを「f分の1揺らぎ」と呼ぶ。Utadaの声は声的分析で独特のf分の1揺らぎがある。正しい治療は少なくても、装着直後で f分の1揺らぎを体感できるだろう。心地よいとの感触は言葉で説明できないし、表現するには限界の壁がある。何故それがわかるのかは、同軸上で特殊に会得し体現できる術者との不思議な共有感覚である。
   自然なやすからな揺らぎを造り出すには、天才的な才能(テクニシャン)が歯にふたたび命を与えるのである。

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