ろうそくの炎を見つめる。できるだけ瞬きをしないで30 分以上見つめ続ける。これは瞑想法の一種だが,何日か続けて行なっていると,変化が起こってくる。ろうそく の炎はささやかなものだが,一刻一刻姿を変えるので見飽きることがない。色合いも常に微妙に変化する。炎が 顔などのさまざまなものを連想させる。
「生命の炎」という比喩がある。私たちの身体は日々 新陳代謝を繰り返しながら死へと向かっている。生きているという生命の持続感は確かにあっても,実体として の身体は,微妙に変化し続けている。ろうそくの炎もまた,炎という現象の一貫性は保ちながらも変化し続け, やがて終末を迎える。ろうそくの長さという寿命を待たずして,突風によってかき消されることもある。これもま た生命と似ている。生命は実際に,エネルギーの燃焼でもある。
変化は,ろうそくの見え方だけではない。炎を長く見 続けていると,ろうそくの炎を見ていない時でも心の中に炎が燃えているような気がしてくる。これは,目を閉じ てろうそくの炎をイメージする感覚とは少し違う。意識的 に映像を思い描こうとしなくても,からだの中に炎が燃え 続けている暖かさを自然と感じるのである。
炎は自然現象であり,私たちの心とは別物だ。しかし, 炎を見続けることによって,自然現象としての炎が私たちの心の中に住み込んでくる。量的な反復がやがては 質的な変化を起こす量質転化が,「技」の論理である。一 回見ただけでは定着しない炎のイメージも,凝視の反復によって,経験の質的な変化を起こす。自分の身体の内 に炎をもつという感覚は生きている実感を支えるポジティブな感覚だ。
ニーロックってなに、偏位の種類って 乳歯治療でのアナが開いているエトルリア冠とは? 最初片側でやがて両側のバックになる、メタルスプリント?次々と繰り返し出てくる用語(偏位治療辞書)がわからない
渾沌と頭の周りに文字が回る。やがて時がすぎ謎が解けていった、そう運命は変わっていったのだ。人の身体は見事とにすべて完璧に辻褄があっているのです。
大学での補綴学を勉強し、あらゆるシカの咬合理論を習得してきた頭のなかでは、始めて聞く言葉ばかりで混乱しかない。全調整、半調整の咬合器を使用し顆路角を測ることをみてきたものにとって、左右の顆路角は必ず同じ条件で同じ角度の規定する「カロの咬合器」とは一体なにもの?何故筋肉を押して診断してはいけないのか?フェイスボーでは真直ぐつかない理由?咬合高径の平均値と個人の差をどう整理するのか?
やがて既存の治療とは何か違うと感じてきた、「顎模型を計る測定板」は歯の本来あるべき未来を見せてくれる。
繰り返しみる、時間を掛けてみる、角度を変えてみる、発想をかえてみる、場所をかえてみる、回してみる、何度もみる、、、。
むーどうやらみえてきたようだ。
壁は突き破るまでけっして先は見えない、見えないから見ようとしないではいけない。
最後の薄皮で壁を破れる前に、戻ってしまってはならない。
模型の読み込みには、熟達した経験と努力がいる。
顎関節症を含めた噛み合わせの治療に直接必要なものをあげるとすれば、絶対的に3つあります、それは
模型の分析(読み込み)、
身体から見た補綴物(メタルスプリント) 、
口腔内調整です。
よく来院した人がメタルスプリントを見せてください?という要望があります。でもひとりひとりお顔が違うように、お口がさまざまに違うのです、そのような理由で形は様々ですと説明します。そしてメタルスプリントは最終的には無くなってしまうのです、とさらに詳細に解説します。
でも詳細に説明すればするほど、かえってわからなくなってしまうかもしれません。しかし難しいことではないのです。少し頭を切り替えることができるかどうかです。西洋学的には、さまざまな形に見えるでしょう、しかし東洋学的にはすべて一つの形に集約されるのです。
治療を受ければ、さらによくわかってきますが、問題の歯の補綴を変えていく際にもっとも変わる所は補綴で「治さない所」なのです。普通のシカでは「補綴の部分」のみが入れ替わりますがね。それでは意味がないことがしばらくたってからわかってくると思います。
シカでは既存の歪んでいる時空間を変えることができないのです。