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あずみ2 2004年06月17日(thu)

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AZUMI
 徳川家康が天下取りに成功し幕府を開いた頃。戦乱の中で親を失ったあずみは爺に拾われ仲間の孤児と共に育てられた。爺は幕府に対する反乱分子を摘み取る刺客の育成という密命を受けていたのだ。10年の歳月がたち、たくましく育ったあずみ達10人の戦士に課せられた最初の使命は、お互いを殺し合うという過酷なものだった。驚愕し混乱しながらも戦い、生き残った5人は、旧豊臣恩領の有名大名、浅野長政と加藤清正の暗殺という大命を背負い外界へと旅立つ。次々と仲間を失い、憎くもない敵を斬る、自らの宿命に疑問を感じ始めるあずみだが、悩む隙もなく大きな罠が待ち構える。


 まずかならず戦う前に、その構え何流とぞとよく聞かれる、しかし私には正当な流派などない。さらに師は誰ぞと聞かれても、適当に「爺」とでも答えておこう。
 「噛み合わせ」のわからないシカドクターほど無謀な他流試合を行いたがる、江戸時代で戦乱の時代であれば、うむもいわずに相手に即刻叩き斬られるだろう。 
 上下の歯の距離感すなわち相手の間合いがさまざまな意味でとても大切だ、私は決まった構えをみせない。これは大学での講義で育ったドクターには、わからないことだろう。

 あずみふうにいえば、歯の調整は、
「道場で習ったものと、野や山の中を駆け回って得たものとはしょせん違う。」
 あずみの映画では、素人を鍛えて殺陣をやらせているので、当然、ごまかしはあるのが眼につく。もし受けているシカの治療がごまかしであれば、症状となりかえってくる、よりあなたはリアルな治療を追求すべきである。
 あずみふうにいえば、シカとは、
「次々と仲間(歯)を失い、憎くもない敵(歯茎)を斬る、自らの宿命(歯科医)に疑問を感じ始める。」
すなわち、シカに大きな壁と感じることが、上達の秘訣である。シカはまだまったく壁を感じていない。
 あずみふうにいえば、腕のたつ剣士であるが、
「剣豪ではなく、刺客である。」
本当に能力のあるものは、表にでることはできない、天下太平の世を築くことを目的にした、「大きな罠が待ち構える」からだ。悪意に満ちて利用されることを恐れる。ひたすら注目されないことである、一見ごく普通の人になりきれるのも技の一つだ。

 クライマックスが訪れる、それが200人斬りである。しかし映画ではないから、最後の最後まで「最後の治療」という天下の宝刀はふりかざさない。出さないで治せればそれでいいからだ。しかし、シカのスプリント装着者は別だ。スプリントという爆弾で破壊された空間は、刀では変えることができないからだ。シカで戦う際の飛び道具とは、自らの刀を扱えない愚か者が使う邪道なものだ。
 シカの剣豪が、異様な「スプリント」を使っていれば、物語になるはずがない。なぜならエンディングのない映画になってしまうからである。
 最後に、戦うべき自らの最大の敵は周りではなく、己にあると思う。症状に振り回されず、冷静に沈着に客観的に物事を見続けるかである。

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