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手からりんご 2004年02月22日(sun)

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 ドレミファソラシドという音名は、実は相対的なもので、鍵盤のどのキーがド、どれがレと決まっているわけではありません。それを決めるためには曲のキー(調性)をしる必要があります。鍵盤のCのキーをドにする場合、その曲のキーはCということになります。

和音にはさまざまな種類があります、大別するとメジャー(長調)系とマイナー(短調)系の2つになります。メジャーで基本になるのは、明るく響くドミソです、この3つの音のうち、2番目のミを半音下げてミ♭にしたものが、マイナーであり、暗い響きになります。たったこれだけで、まったく別なイメージに変わります。

歯もまったく同じです。1234567という違いはわかりますが、それぞれの番号の役割はもちろん、キーがどうなっているかです。毎回同じ階調で造られていれば、身体はたまりません。奏でる歯の和音も明るくメジャーになるか、暗いマイナーになるかは、山を一つ挟みどちらにくるかで変わってきます。偶然治しているようではいけないのです。歯の世界もかならず陰陽があり、普遍的な決まりごとが根底にあるのです。絶対的な真理をここにたずさえるのです。
 シカでは、絶対音階がありません、ですから歯の治療で構築されているものは、場所を考えていませんですから「左手に口」があってもおかしくはないのです。
 手からりんごをかじる、こんなことが基準のないシカ世界ではけっして不思議ではないのです。
自分の歯で噛ませないことが、このくらいズレさせることなのです。
 シカでは平気で和音が崩れていたり、メジャーな所が欲しいのに暗い当りで、鬱な印象を与えてくれます、それらにイメージ通り取り入れてしまえば身体と心はまさしくその通りになるのです。
同じ高さでも1234567はかならず当てる面や角度そして方向がそれぞれにあるのです。
 それぞれがバラバラな方向を向いているからなのです。これを大きな流れに合わせ、一つの有機体として結集させるのです。シカではわかっていません、いまだ顎の位置に囚われているからです。顎は親知らずの次の9番面のエレメント(要素)にすぎません。


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