理由もなく身体の向きやすい方の人が好きです、そして身体の向きにくい方の人が理由もなく嫌いです。人の好き嫌いの好みが身体の方向で理由もなく決まるのです。
LOVE: 歯科において「歯」からくるストレスを対象としない現代歯学は、人の健康を造り出す学問としてはどうしようもない限界があります、そしてもう一つ根本的な問題があります。それは、科学は、物として測れないものは対象に出来ないということです。シカの世界では「噛み合わせ」がその対象にあるのです。
小さいときから、すべては物からできているという科学的な考え方でしばられ教育されています。物質中心の世界ですから、無意識のうちに唯物論者になっているのです。
物の基本的な特徴は、長さと重さと速さがいつでも必ず測定できることです。はかるということは世界のどこでも、いつの時代でも、誰がやっても、同じ結果がでるという再現性が保証されます。再現性のないものは科学にはなりません。私たちが膨大にある科学的な知識や情報はこうして得られた財産です。しかし文明の発達とともに、科学は人間にとって最も大事なものを失わせる欠点があるのです。そして再現性にあるものだけに頼り安心してしまうという危険が潜んでいます。
例えば生命は測定不可能です。草木が生長して、花が咲くスピードや移り変わる花の大きさを測定することはできても、生命とは何であり、何gで、何cmとは測ることはできません。春になれば花が咲くのは当たり前のように思っています。その花の一粒の種で光と水を与えられることによって、芽が出て成長します。生命とは何ですかと尋ねられても、分かりません。種の中を探しても、花を分解して顕微鏡で見ても、生命そのものは見えないからです。
ヒトの身長や体重は測れます。年齢も数えられます。しかし、生命そのものを測ることはできません。心や精神は測定出来きるものではありません。心に重さはありませんし、ものさしで測れる長さがないのです。感動や優しさ、さらに悲しみや不安を対象に測れないのです。そんな心の意識はどこにあるのでしょうか。脳の中ですか?脳に数十億個の神経細胞が集まったとしても、1個1個の細胞の集まりがどの細胞にそしてどの部分に相当するのでしょうか。数十億個に分解可能なのでしょうか。そんなことはありません。心はただ一つです。そして心の持ち方で、さまざまな関わりが変化していきます。
人を愛することは、その人にやさしくしたい、やさしい気持ちでいたいと思うことです。その人の心の喜びや悲しみが、解かり合えることです。人にやさしくできる時、心の中が楽しくなってきます。自分の中まで豊かになります。人を愛している自分を、愛することができます
愛することは、自分自身の心の優しさにあります。歯を通じてあなたの優しい「心」をはかるのです。